組織とか集合体とか。
寒い。めっちゃ寒い。
入社して1年半、最近、組織というテーマに関心がある。
少し前から『ティール組織』だとか『ホラクラシー経営』だとか『マネジメント』『チームビルディング』『心理的安全性』とかのワードが自分の中で少しずつ引っかかるようになってきて、最近その引っ掛かりの強度がだんだん増してきている。自分自身が成果を上げることより、組織、チームはどのようにしたらより高い成果を(より幸せに)達成することができるのか。その辺りが気になっている。
これからの時代に求められる良い組織とは、『個々人に全体性があって、有機的で、上下というより役割で構成されていて、全員が安心してリスペクトし合えている状態だよね』というふうな合意が伺える。僕もそう思う。そんな状態なら生産性は上がるだろうし働いていて楽しいだろう。でも簡単に導入できるかというとそうはいかない部分もある。何故か。それはやはり資本主義という社会構造とそれに基づいた学校教育なのだろうか。
近所にできたふわふわパンケーキ屋
学校では個々人が『テストの点数』『成績』という軸で評価され、それぞれがいかに高い成果を出すかということが注目される。『クラス全員の平均点が一番高いクラスが評価される』から『そのために勉強が得意な生徒が苦手な生徒に教えたり、運動が得意な生徒が苦手な生徒に教えたりする』とかそういったことは普通はない。『自己』と『他者』は基本的には分断されていて、自分が他人より優れていることが評価されるという構造がある。
同時に学校では(幼稚園からか)社会的生き物としての役割も求められる。人とコミュニケーションをとり、仲良くなり、一緒に遊んだり、協力したり、相手が喜ぶことをしたり、助けてもらったりする。そこには利他的な性格も多く含まれる。
ちなみにこの『自己と対立する他者』と『自己と共存する他者』の2つを上手く統合できないことが、青年期に(僕みたいに)いろいろ拗らせてしまう人物を生み出してしまう1つの要因ではないかと思うのだけど、どうだろう。
資本主義社会では競争と協力のジレンマが常に存在していて、そのバランスを取りながら進んでいく必要があるのだと思う。集合意識的には『すべての人が幸せな世界』という理想的合意があって、時代が進むに連れて、競争から協力に掛かる比重が少しずつ増えていくような繊細なオペレーションが求められているというか。そんな中『こうすると上手くいくらしいから今日からそうしよう!』とやっても上手くいかないのは明白で。
話が大きくなりすぎてしまったけど、結局のところ組織というのは人間が集まってできているのであって、『評価されたい』『働くの楽しい』『サボりたい』『あいつムカつく』など様々な思惑が混在している。そんな中で全員にとってより良い影響を持つ方法というのは、きっと存在する。
自分に何ができるのか。探究しがいのあるテーマです。